福ぶちょうです。
おじゃがの入院を機に、私の生活と、おじゃがの存在の結びつきを、改めて感じています。私の拙い言葉では、うまく表現できない感覚。「いつも考えてる」という感じでもなく、「寂しさ」だけで表されるものでもなく、「特別」なようで、「自然」とも違くて…。
「おじゃがに対して、普段、心を準備している」「心のスペースを空けている」という感じでしょうか。
仕事から帰って鍵を開けたときの遠吠えとか、掃除機に触ったときの抗議とか、「私がこうしたら、おじゃがはこうするな」「私がこうしたら、おじゃがはどうするかな」と、瞬間的に構えているような、備えているような。それが生活に結びついていて、自然なようで、意識的なようで…うまくぴったりした言い回しが見つからないのですが。
きっと、私がそう考えているのは、おじゃががいつもそうしているからなんだ、とも思います。
「福ぶちょうがこう動いたときは、次はこれをしようとするな」「おじゃががこうしたら、福ぶちょうはどんな反応するかな」と、おじゃがは私の行動を観察して、予測して反応する。私はおじゃがの行動を観察して、予測して反応する。生活の中でそれを繰り返してきたから、自然なような、意識的なような感覚になるのだと。
「おじゃがが私のために心のスペースを空けている」そう思うと、いっそう健気で愛おしい存在に感じます。
「心にぽっかり穴があく」という喪失感の表現がありますが、もしかしたら普段から相手のために空けている心のスペースが埋まらない感覚なのかもしれませんね。おじゃがの退院まであと数日。私は心のスペースを空けて待ちます。
靴下を奪って逃走、抵抗するおじゃが。(今はこんなことしません)
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コーギーおじゃが♪ほくほく成長記
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